BLOG

創業時を振り返って-episode4-

早すぎる終焉

創業時の苦しい時を越え、ブレイクスルー。その後、事業は飛躍的に伸び快進撃が続いた。

と言うのが良く聞く話。

しかし、私の場合は違った。ブレイクスルーのあと快進撃は来ず、大きな外的要因によってピポットを余儀なくされた。

創業事業の凍結

事業は黒字ではあった。引き合いもあった。ニーズもあった。しかしながらこのままでは未来は無かった。
衰退は火を見るより明らかだった。
私は一時的にこの創業事業を凍結させることを決意した。(一旦この事業の事業投資を控えること)
そして私は来る日も来る日も次なるビジネスモデルを考えた。
何かピポット出来る事業は無いか?どこかにビジネスチャンスは無いか?

6か月間24時間考え探し続けた

彷徨った果てに

とても苦しい時期だった。仕事が無い。打ち込める場所がない。時間だけが毎日過ぎていく。
藁にも縋る思いで様々なビジネス交流会に参加した。
『ビジネスマッチングセミナー』:大半は経営コンサルタントや税理士、弁護士など企業を顧客にする方ばかり。残念ながらコンサル頂くほど、税金対策するほど、問題が起きるほど私の会社は成長していない!

そして深センへ飛んだ

昨年は血迷って香港に飛んだ。(詳しくはこちら創業時を振り返って-episode1-)

今回は血迷った結果、深セン。

気分はバイヤー

うん、これは売れそう。おしゃれで薄くて軽いモバイルバッテリー
半分コレクション気分で大量購入。結果、帰りの空港で止められ没収される
中国語で何か言っている警備員、何を言っているのかさっぱりわからない。

きっと『おいお前!このスーツケースに入っている大量のバッテリーは何に使う気だ!?』

みたいな類のことを言われていたのだろう

この人は、ノープランで深センを旅してます。

個人審査さえ通らない

事務所移転の計画

立ち上げた事業がブレイクスルーしかけた時に皆に言ったことがある。

「事務所を移転するぞ!」と。

しかし今となっては事務所を移転する必要がないくらい事業は伸びてない
ここで辞めてはメンバーの士気が下がると思い、移転計画を続行した。
ひょっとしたら、自分が一番移転したかったのかも知れない。環境を変えれば何か見えてくるかも知れないと。

賃料25万円

メンバーは4人、そんなに大きな部屋は必要ない。BtoBでもなければBtoCでもない、駅から近い必要もない。クリエイティブな発想が出来るようにただ個性がある部屋が借りれれば良かった。

しかし法人一期目となるとだいたい審査落ちとなる。

ならばと思い、個人審査で通す。

落ちる

落ちるのには理由があった。私の前年度の年収は96万円。落ちて当然である。

ローン5,000万

同じ流れでプライベートでも試練が立ちはだかった。
子供の成長に合わせてマイホームを購入することなる。妻もその家が大変気に入り、購入希望となった。
各銀行に融資を願い入れるが、当然年収96万の人に5,000万は貸してくれない。
当時のサラリーマン時代なら、どの銀行も喜んで貸してくれただろうに
銀行の支店長に頼み何とか融資検討までたどり着いた銀行があった。

結果は4,000万

私の未来の収入を見越して貸してくれた。大変ありがたいお話しだった。
しかし、私は手持ちをすべて事業につぎ込んでいた。要するに貯金は無い。1,000万持っていない。
自分のライフプランの甘さが露呈した瞬間であった。

事業ピポット

創業1.5カ月目、8月25日
新たな事業の立ち上げに成功、大手通信会社UQコミュニケーションズ株式会社と業務提携締結

原点回帰

ピポットさせた事業は特に新しいものでも、変わったものでもない
自分が今までやってきた、モバイル販売の受託事業だ
今回はそれを店を持たずに、その店をコンサルティングする立場として動く。ただそれだけの違いだった。

しかしながら多くの受託会社は、人材提供に過ぎなかった。我々は人材提供ではなく、販売戦略と合わせて受託する。
他の受託会社とは似て非なる物となった。
元モバイル事業統括の私にとっては、当たり前の作戦と行動が模倣障壁となった。

経営初心者

前職とやっていることは同じすか?
とよく言われた。初めはちょっと悔しい気分にもなった。

しかしながら、そんな気持ちはすぐになくなった。

私は経営初心者、初めから変わったことはできなくて当然。

まずは自分の得意なフィールドで船を出す、そしてそこから私は3段階に変化していく事業戦略を描いたのだ。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事一覧